店長ちーちゃんのじぃじとばぁば応援ブログ
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おしゃれでいつまでも若々しく元気でいたい!イケテルじぃじとばぁばのシニアファッション通販

シニアファッションG&Bを運営しているファッションパーク・カヤマです

 

長野インターから車で5分、ファッションパーク・カヤマは「真田十万石の城下町信州松代」長野市松代町で総合衣料品店 (紳士婦人子ども衣料、寝具ギフトを扱うバラエティショップ)を営業しております。

明治41年創業以来100余年にわたって、衣料品販売を通じて地域社会の豊かな ファッションライフに貢献すべく営業してまいりました。

腰が曲がった体型のおばあちゃんから悩みを聞いて

高齢化社会を迎え、当店でも来店されるお客様の中に、腰の曲がったお客様が増えてきました。
そして「普通のおズボンでは背中が出てしまう」という悩みを聞いて、そんな悩みを解決する商品を探していたところ、体型をカバーするズボンを開発し特許を取ったメーカーさんとめぐり合いました。

これを実店舗で販売したところ 「こんな商品が欲しかった」との喜びの声をいただきました。

ネットショップで全国の方にお届け

そこで、全国に同じ悩みの方が いらっしゃるのではないかと2010年にネット通販をスタートさせたところ大反響をいただき、扱い品目もズボンだけではなくトップスへと拡充してまいりました。
「腰が曲がっても美しく」をモットーに、皆様から寄せて頂いた「こんな商品が欲しい」という声をもとにしてメーカーと共に商品を開発し、扱い品目を拡充してまいりたいと思います。

10歳若返る素敵なシニア世代を応援

ファッション通販G&B(じぃじ&ばぁば)のテーマは、おしゃれなおじいちゃんとおばあちゃん。
腰が曲がっても、たとえリハビリをしていたとしても、お父さんやお母さんにはいつまでも若々しく元気におしゃれを楽しんでもらいたい、そんな娘さん、息子さん世代の願いがテーマです。

創業100年以上にわたり、実店舗で、地域のお客様のご希望や悩みを聞いて、アドバイスをしてきた実績を活かして、10歳若返る素敵なシニア世代を応援していきたいと思います。

 

香山繊維株式会社 代表取締役社長
香山篤美

 

会社概要

会社名

香山繊維株式会社

 

所在地 〒381-1231 長野県長野市松代町松代546
TEL/FAX TEL 026-278-2167/FAX 026-290-6025
E-mail f-kayama@grn.janis.or.jp
設立年月日 昭和26年1月26日 会社設立
資本金 1,000万
代表者 代表取締役 香山 篤美
事業内容 衣料品・シャディギフト販売
会社沿革 明治41年12月19日 創業
加盟団体 ・長野商工会議所
・シャディギフトチェーン
・東日本衣料チェーン協同組合
主要取引銀行 長野信用金庫・八十二銀行

店舗マップ

 

香山繊維(株)の歴史

香山倉右衛門(天保14年~大正6年)

明治時代、長野県上田市において大きく製糸業を営んでいた香山倉右衛門一家は、明治の中期になって製糸業が衰退するのに伴い、妻「とり」とともに家族で上田から地蔵峠を超えて、隣町の松代町に移り住みました。

創業者香山信治(明治14年~昭和36年)

明治14年生まれの長男信治は、松代町中木町の足袋製造販売を行う店に、10代より丁稚奉公に入り足袋製造の技術を習得。
衣料品の販売実務を習得していきました。

その間、日清戦争(明治26~28年)日露戦争(明治37年~38年)の2回の戦争に招集されて
近衛師団の一員として従軍しました。
脇腹に敵の銃弾が当たって命を落とすところでしたが、幸い腰に下げていた水筒に助けられて間一髪命拾いしました。終戦とともに帰国し奉公先での勤務に復帰しました。

丁稚奉公を経て独立、カヤマ洋品店開店

まじめで芯が強く誠実な人柄は奉公先での信用も厚く、丁稚奉公明けの27歳で独立することを許されました。
独立に先立って長野市往生寺の志んと結婚し。
明治41年12月1日、現在の店舗のある場所に間口一間の小さな店舗を構えて香山洋品店を創業しました。

母とりは独立を果たした信治の晴れ姿を見届けることなく明治41年5月24日60歳で亡くなりました。

足袋、呉服、衣類を中心に扱うお店

開店当初は店舗前に戸板を並べて販売に当たり、当初は足袋、呉服、衣類を中心に扱うお店として、信用第一に良品を扱い次第に地域の信用を得て大正、昭和と商いを続けていく中で、間口2間、3間と少しづつ店舗を広げていきました。

時代の変遷の中で足袋や呉服の需要が減っていき、扱い品目も、洋品の製造と販売へと
シフトしていきました。

倉右衛門は信治の活躍ぶりを見届けて大正11年1月15日75歳で亡くなりました。

2代目香山隆治(明治41年~平成2年)

進学の夢を断念して商売の道へ

dsc_1499長野市往生寺から香山家に嫁いでき「志ん」と信治の長男として、生まれた隆治。
店の創業の時と同じ明治41年に生まれました。
隆治は、幼少期から頭がよく東京に出て官吏への道を歩もうと、今の大学に該当する高等専門学校を受験して合格します。
父信治の許しを得ようと家に帰ったところ、家に届いた合格通知を父信治が先に見てしまい、9人兄弟姉妹の長男として店を継ぐよう説得。
父に説得され、夢を断念し、商売の道を究めて地域の中で社会貢献しようと決心し商売の道へと入りました。

隆治の妻 けさ

dsc_1501隆治の母「志ん」は病弱で61歳で早世しました。

隆治の嫁として、縁あって松代町清野の大農家から嫁いできた「けさ」は、嫁入り前、代用教員として信州新町の信級小学校の教師として子供たちから慕われていました。
けさは畑違いの商家に嫁いで戸惑いながらも隆治の商いを陰になり日向になり支えていきました。
志ん亡き後、兄弟姉妹の母代わりとなって隆治の弟2人の独立を助け、6人の姉妹を嫁がせました。

太平洋戦争と香山洋品店

太平洋戦争時には、店舗向かいに、電動ミシンが20台ほど並ぶ縫製工場を設け、数十名の従業員を抱えて軍部からの軍服を縫う仕事を請け負っていました。
しかしながら隆治は徴兵を受けて中国に従軍、終戦をもって無事帰還いたしましたが、軍服の仕事もなくなり縫製工場は閉鎖となりました。

隆治は戦争から帰還後、店舗を再開し、軍服製造で培った縫製技術を生かして、洋装の仕立服の受注製造販売と洋品の小売りとを併用した店舗運営を行っていきました。

香山繊維株式会社を設立

dsc_1500昭和26年12月26日には会社組織にして香山繊維株式会社を設立し、個人商店から会社組織へと発展させていきました。

昭和27年小学校の恩師の自分の理想とする児童養護施設を作りたい」という夢を実現しようと
同級生に呼び掛けて「社会福祉法人湖同級会」を設立。
児童養護施設松代福祉寮を創立し、設立当初から亡くなるまで法人理事長として運営を支え社会福祉に貢献しました。

おしゃれなミセスファッションを扱うお店へ

昭和30年代後半になって既製服が普及するようになると、洋装の仕立服の受注製造販売を打ち切り、洋品小売りに専念するようになりました。
店の繁栄を見届けて昭和36年8月5日に信治が80歳で他界しました。

隆治は先代信治の創業時点からの社是である良品を扱うことを心がけおしゃれなミセスファッションを扱うお店へと発展させていきました。

松代へインターチェンジの誘致

商売に専念するかたわら、若いころ官吏になって社会貢献しようとの思いを形にして、松代町の町会議員として3期務め町の発展に尽くしました。
松代町が長野市に合併した昭和41年には長野市市会議員として1期つとめました。

平成5年に高速道長野インターが松代地籍に開通しました。
その陰には香山隆治が、全国に通じるインターチェンジを松代に誘致をしようと、松代商工会議所観光委員長時代に関係者に働きかけて、10年越しの運動を行い、実現にこぎつけたものです。
隆治はインターチェンジの開通を見ずに平成3年81歳で他界しました。

隆治けさの子供たち

隆治、けさには5人の子供が生まれましたが、次男次女は乳幼児期になくなってしまいました。

長男岑之の活躍

長男「岑之」は、父親譲りで頭がよく、自力で東京の大学に進学して在学中に公認会計士の資格試験に合格し、その資格を活かして外資系の企業にて世界の中で活躍していきました。

長男岑之の活躍ぶりはその後、経済小説で人気の高杉良が描く小説「挑戦!巨大外資・上下」の主人公として描かれ、評判もよく、主人公香山岑之(カヤマミネユキ)の実名で単行本にもなっています。
高杉良さんは取材のためにご夫婦で当ショップにも訪ねてくださいました。

長女みゆき

長女の「みゆき」も頭がよく大学へ進学する力があったものの、将来の手に技術を持ったほうがよいとの配慮から東京の服装学院にて洋装のデザインや縫製を習得したのち服装学院の助手を数年務めたのち帰郷し、店を手伝うようになりました。

縁あって隣の千曲市に嫁ぎ、その後嫁ぎ先の夫とともに店を手伝ってくれて今日に至っています。

三男の篤美が店を継ぐことに

兄姉が先にそれぞれの道を切り開いていったため、残された三男の篤美が店を継ぐことになりました。
篤美も当初、松代で店を継ぐことに抵抗があり、一度は東京に出て進学就職して自分の道を歩んでいました。
日本におけるボランティア活動の萌芽期文科省認可の「社団法人日本青年奉仕協会」に勤務し
、若者がボランティア活動を通じて社会貢献をする取り組みを推進するために全国を飛び回っていました。

仕事を通じて出会った富山県出身の恵子と結婚し、長女ちこが生まれました。
勤務して4年がたち、油に乗って仕事にやりがいを感じていた時期でしたが、ちょうどその頃母けさが病弱となってきました。
父隆治、兄岑之も交えて相談し、仕事を辞めて一年間の衣料品業界での修行を経て、母の看病をするために、篤美恵子夫婦は10ケ月になる長女千子を伴って帰郷することになりました。
昭和50年4月のことでした。

シャデイギフトショップをオープン

父隆治は篤美が店に入ってくれたことに意を強くし、昭和58年にはシャデイギフトショップをオープンさせました。
扱い品目もミセスのおしゃれなファッションを扱う店から、次第に総合衣料店へと発展させて、昭和60年には店舗前の駐車の一角にこども洋品専門に扱うカヤマこども館を開設しました。

けさは篤美夫婦が孫を連れて帰ってきてくれたことに大変喜び、嫁の恵子をわが娘のようにかわいがり、孫の成長を楽しみながら、家族で楽しい時を過ごすことができました。
しかしながら少しづつ病弱となり、昭和58年1月31日嫁恵子の手厚い看護に見守られて
70歳で亡くなりました。

3代目香山篤美

平成3年に隆治が81才で亡くなり篤美が3代目社長に就任しました。

店舗の解体と拡張、道路整備

平成5年に、父隆治の念願であった高速道インターチェンジが長野市松代地籍に開設されました。
それに伴い、店舗前の道路に観光バスが入ってくることが予測され、父隆治が亡くなってまもなく、木町通りの三叉路の角にある当社の店舗の隅を切って、観光バスがスムースに曲がれるようにとの計画が持ち上がりました。
父が尽力して開設されるインターチェンジを、松代観光に生かすためにも、店舗の隅切りに率先して協力しようと、平成4年に角の店舗を解体して道を広げました。

松代の商店街の町並みづくり

その結果、周辺商店街がこぞって道路拡幅して安全安心の賑わいのある商店街につなげようと
木町通り道路拡幅期成同盟会が結成。
当社の店舗から、250メートルわたってつながる商店街全体が、店舗を後ろにバックさせ、8メートル道路を、両側4メートルの歩道を備えた16メートル道路に広げていく計画へと進展していきました。
商店街で先進地域を視察して研究し、城下町らしい町並みの店舗づくりを行い電線も地中化しようと行政へも要望していきました。

城下町のデザインをとりいれた新店舗完成

平成8年から商店街の道路拡幅が事業化されて、当社店舗も周辺に分散していたシャデイショップと、カヤマこども館を本店の中に含みこんで一本化しました。
新店舗は、城下町らしい外観の白壁瓦や屋根の現在の店舗が完成しました。

商店街250メートルにわたる道路拡幅工事の完成は、平成16年までかかりましたが、電線も地中化されてどの店舗も城下町らしい店舗づくりを行い、電線も地中化されて美しい商店街に生まれ変わりました。

 

長女千子が参画

長女千子が店舗運営にかかわるようになってから、平成8年に長野県内の人々の交流を促進するためのブログ「ナガブロ」が開設されました。

早速、千子がナガブロでブログを開設して、店舗の様子を発信するようになりました。
お昼寝布団の紹介をしたところ県外の方からお昼寝布団を買いたいとの連絡がはいったのがきっかけで、平成16年にお昼寝布団のネットショップを開設しました。

ネットショップの開設。お昼寝布団で有名に。

はじめは手探りでしたが、次第にネットショップを通じて全国にお昼寝布団が売れるようになっていきました。
長野市周辺でもお昼寝布団ならカヤマとの評判が立つようになり、ネットショップの有効性を認識するようになっていきました。

腰が曲がった方向けの商品を

一方、お店に来店されるご年配のお客様が、近くにお店が無くなって困っていると、何十キロも遠くから来店される方が多くなっていきました。

その中に腰の曲がった方がいらっしゃって、普通のズボンをはくとズボンがずり落ちてしまって背中やお尻が見えてしまって困っていると相談を受けました。

あちこちのメーカーさんに相談をしていくうちに、腰の曲がった人用の背中が出ないおズボンを小さなメーカーさんが特許をとって開発したとの情報を得ることができました。

早速実店舗で販売してみると、これなら背中もお尻もでなくてありがたいと大変喜ばれました。

全国から感激と喜びのお便りが

全国に困っている人がいるに違いない、このこの腰曲がりズボンをネットで扱って全国の困っている人に喜んでもらおうと、平成23年に、お昼寝布団のネットの中にシニアファッションのコーナーを開設し、腰曲がりズボンを販売しましたところ全国からご注文をいただきました。

「こんなズボンがほしかった、もっと早く知っていたらよかった」と感激のお便りをたくさんいただくようになりました。

全国各地のご年配の方々の困りごとをお聞きして品ぞろえを強化して、男性シニアの商品へも広げていきました。

平成25年にお昼寝布団を分離してシニアファッション専門のネットショップを立ち上げて今日に至っています。

 

香山繊維の年表

明治41年12月1日 香山信治松代町中木町に足袋、呉服、衣料の店「香山」創業
昭和17年~昭和19年 縫製工場で軍部から軍服の縫製受託
昭和26年1月26日 香山繊維株式会社設立
代表取締役に香山隆治が就任
昭和26年~38年 婦人服仕立ての受注生産と既製服の販売を併用
昭和39年~ 婦人服の仕立を終了させて婦人服を中心とした既製服の小売りに絞る
昭和56年 店名をファッションパークカヤマに変更
昭和58年 シャデイギフト松代店開設
昭和60年 カヤマこども館開設
平成2年6月 香山隆治死去に伴い香山篤美が代表取締役に就任
平成4年 店の一角である角店をセットバックして道路拡幅に協力
平成8年 都市計画による道路拡幅でシャデイ松代店とこども館を
本店に集約して総合衣料店として新装オープン
平成16年 お昼寝布団のネット通販オープン
平成23年 腰曲がりズボンをネットで販売開始
平成25年 シニアファッション通販 「ファッションパークカヤマ」本格稼働
平成28年 おしゃれなシニアのファッション通販 G&B リニューアルオープン

 

 

 

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