はじめまして!G&Bを運営している
「ファッションパーク・カヤマ」のスタッフ一同です。
店長ちこぽん セキララ奮闘記
こんにちは!シニアファッションG&Bの店長、「ちこぽん」こと黒岩千子です。
実店舗では、長野インターから車で5分の松代町で、総合衣料品(シニア用のお洋服・保育園お昼寝布団)の販売をしております。
長野の城下町松代町で育ちました。
3歳違いの次女・7歳違いの三女・9歳違いの四女の4姉妹の長女です。
小さい頃からの重荷
私が1歳の時に、現社長である父と母が松代町に、店を継ぐために帰ってきました。
母は店の仕事をするために、私を保育園に入れて仕事をしていたそうです。
商店街の中心に位置する大きな店舗とともに育った私にとって、「4人姉妹の長女=跡取り」という重圧は、小学校のころから深刻な問題で、未来の可能性をせばまられたようでした。
「女4人姉妹・・・長女の私が継がないといけないの? でもわたしだってやりたいことがある・・・」
跡取り問題に関する悩みは私にとって大人になるたびに深刻になってしまい、何をするしても頭の片隅に存在しました。
柔道にのめりこんだ学生時代
小学校時代は、また、両親が店の仕事で忙しかったため、4人姉妹の長女として、土日は夕飯を作ったり、妹の面倒を見たりするのが自分の役目と思っていました。
小学校は、ソフトボール・中学校ではバスケットボール部に所属。
バスケ部引退後、受験勉強をすると思いきや、当時流行っていた「YAWARA」のアニメを見たことと、田村亮子(現谷)さんの載っていた雑誌を見たことをきっかけに、地元道場「松心館」に入門。柔道を始めることになりました。
偶然にも、当時、長野商業高校が女子柔道部を強化していて、当時の顧問の先生に誘われ、長野商業高校に入学することになりました。
普通科ではなく、商業科を選択したことも、ただ柔道をやりたかったから。商業科に入学したおかげで、在学中に日商簿記2級を取得すつことが出来ました。
在学中、インター杯2回出場・県大会2年連続個人戦優勝・高校2年生では、全国大会5位入賞することが出来ました。
ただ必死で何も考えず力任せの柔道でしたが、高校3年生のインター杯予選の決勝の団体1ー1での代表戦。
代表戦で私が出て、残り15秒。有効負け。
最後の夏にインター杯に出られませんでした。
その日の夜、泣いて泣いて決めました。
「大学でも柔道をやろう。続けるなら、田村亮子さんと一緒の大学でやりたい」
今まで職業科で、受験勉強らしい事は何一つやってこなかった私は、とりあえず予備校の夏期講習に通いました。
必死で勉強して、受験をしての合格通知をもらったとき、
「やった~。これで田村さんと一緒に柔道が出来る!」
日本一になる!ってという目標を持って上京しました。
18歳、東京へ!
ついに憧れの、柔道の名門帝京大学へ入学し、大学生活のスタート。田村亮子先輩と同じ柔道部に入れたときの感激は忘れません。
しかし・・・長野での柔道の実績はほとんど役に立ちませんでした。
部の中で一番弱く、毎日投げられ続けました。同級生は友人でありライバル。学校でも寮でも一緒。ただ柔道の練習はひたすらに頑張りました。
当時の監督の稲田明先生から
「ちこちゃん、人の3倍努力しなくちゃいけんたい!そうしないと、みんなに追いつけんたい!朝連の後、昼練の後、午後練の後、綱のぼりをしろ!30本!」
と言われ、必死で綱のぼりをしました。
今思えば、パワーをつけろって事だったんですが、当時の私には分かるわけもなく
「何で自分ばっかり・・」ってずっと思っていました。
でも、周りはみんな小さいころから、柔道に打ち込んできた子たちばかり。
高校から柔道を始めた私に足りなかったことは、基礎練習ってことだったんです。
卒業したら何になろう・・
大学2年生になった頃でしょうか・・・少しずつですが練習の中で、投げられるばかりでなく、投げる事が出来るようになってきました。
稲田先生のアドバイスを忠実に守り続けたら、練習の中で成果が見えるようになってきました。
でも、過酷な減量とその後の過食を繰り返す不安定な精神の毎日。今では反省していますが、自己流の減量は、体の健康と心の健康を奪ってしまったような気がします。
社会人になって柔道を続けていくのは無理だと限界が見え始めていたのもこのときです。
頭によぎるのはいつも実家の衣料品店の事。
しかも、21歳になるまで柔道一筋で、アルバイト経験も無く、社会との接点もありませんでしたので、本当に常識が無い学生でした。
学校の先生にもなりたかったので中学校・高校の教員免許も取得しましたが、将来のことを考え、接客業で販売の修行をした方が良いのではないかと思っていて、長野県に戻り、大型スーパーに就職することに決めました。
潜在的に、サービス業である家業に役に立つ職場を選んでしまったのかもしれません。
ただいま!長野
社会人1年生、スーパーでの仕事で最初は靴売り場に配属。その後、生鮮売り場に移動になりました。
生鮮売り場の冷蔵庫の中での作業は、柔道でボロボロになっていた私にはとてもきついものでした。
古傷の肩が痛み、股関節が痛み、足首が痛み。一年も待たずにこの職場をあきらめなくてはいけないことになってしまいました。
そんな私を救ってくれたのが実家のお店です。好きなことをやりたくて東京に飛び出していった私、ろくに社会経験がないまま就職した私を両親はあたたかく迎えてくれました。
接客業を本格的に勉強
最初は失敗も多く、お客様を怒らせてしまったりすることもありました。父から教えてもらいながら、少しずつですが販売の事を覚えていきました。
そして働きながら、松本まで治療で通院する毎日。
整体院の先生は、「よくこんな股関節で、柔道をやってきたね。しばらく通って、身体を治しなさい。」と言ってくださいました。
現役時代は精一杯やっていたつもりだったけど、引退後のケア(心も身体も)必要なのだなと思いました。
そして仕事も慣れてきた頃、今の主人と出会い結婚しました。
主人はコーチングの仕事をしていたので、私がそのセミナーを受けたのがきっかけです。
主人のセミナーのおかげで「この店を自分が継がなくてはいけない」という重圧から開放され、前向きになり頑張ろうと思えるようになりました。
まわりの環境は何も変わってないのに自分が変わることでこんなに前向きになれるなんて・・・・。私にできることはなんだろうと探る日々。
安曇野から、お店に通う働くお母さん
主人の仕事の関係で、安曇野に引っ越し、安曇野と松代を高速道路で行き来する日々。生まれたばかりの長男は一時保育にあずけ、ひたすら仕事に追われる毎日。
主婦らしいことも、何も出来ないまま、結婚してしまいました。いつも頭の中にあるのは、実家の店のことでした。
妹達はそれぞれの道を見つけて頑張っていました。
次女 啓(ひろみ)は、世界をまたぐサーカスアーチストとして活躍。
三女 淳は、介護士として働いていました。
四女 梓は、保育士を目指して勉強していました。
そんな時、主人が独立をすることになりひとつの岐路がありました。
私が松代と安曇野を子どもを抱えながら通勤するという過酷な状況を見かねて、「松代に行くよ。」主人が言ってくれた言葉。感謝しています。
シドニーオリンピックへ亮子先輩を応援に!
そんな時、大学の友人から一本の電話がありました。
「(田村)亮子先輩の応援に、シドニーオリンピックに行くんだけど、千子も一緒に行かない?」
シドニー、行きたい!!
亮子先輩がオリンピックで金メダルを取るところを見たい!
そう思った私は、祖父からお金を借りて、シドニーに行くことにしました。
そして谷亮子先輩の金メダルを取る瞬間を間近に見ることが出来ました。
谷さんがメダルを取った時、観客の全員が立ち上がった時の感動を今でも忘れることはありません。
「最低でも金!最高でも金!」有言実行の谷先輩の姿を今でも追いかけています。
保育園お昼寝布団が口コミで人気に
松代に引っ越ししてから、お店のきりもりをしつつ、次男・三男と子供に恵まれ、子育てに奮闘する毎日。
家事や、子どもの習い事、学校、保育園の行事、いつも追われていて余裕が無い中の自営の仕事。土日祝日無しで、苦しくって。苦しくって大変で。
ある日、社長である実父から、「地域ブログ」ナガブロを書いてみたら?とすすめられ、思うままに色んなことを書いてみることにしました。
その中で、「カヤマの手作りお昼寝布団」のことをブログに書いたところ、県外の方に読んでいただき、使ってみたいと言っていただいたことをきかけに、お昼寝布団のネット通販が始まりました。
子育てをするなかで悩んでいる自分や奮闘している自分をありのままにブログに綴っていたら、新しいお客様と出会えた!
自分の毎日を仕事に活かせる、そして良い商品を紹介して喜んでいただけるなんて、やりがいのある仕事だなぁと気が付きました。
ふんわり軽い手作りお昼寝布団が今では、口コミでも広がり、沢山のお母様達からご紹介頂いたり、保育園の先生方からのご紹介を頂いております。
保育士の妹が手伝ってくれることに!
そんな時、保育士をしていた妹の月岡梓が「保育士を辞めて、店を手伝いたいんだけど」と言ってきてくれました。私は一人で頑張らなくちゃと思っていたけれど、強力な助っ人と一緒に店舗を営業してくれています。
東京で夢を追い続けているサーカスアーチストの次女香山ひまわり、介護士として仕事・子育てに頑張っている三女。
私より賢くて、自分のやりたいことを貫いて、自分の夢を実現させて妹達を見て自然と覚悟を決めました。
「わたしがやらなくては、やる人がいないから。」
毎日新しい方々との出会いがあります
先日、お客様から「あんた、大変だと思うけど、頑張って言ってね。カヤマさんは私らにとって大事なお店だよ」と言って頂きました。
毎日新しい方々との出会いがあります。
100年に渡って、私たちを選んでくれたお客様、良い時も悪い時も一緒に乗り越えてカヤマで働いてくれた皆様、そして平常心で支えてくれる主人に感謝しています。
また、シニア世代のおしゃれなお洋服をご提案する店として、「腰まがりパンツ」「腰曲がり体形カバーブラウス」「紳士総ゴムズボン」シニア世代のお洋服のネット通販を始めることになり、老人ホームなどの介護施設や福祉施設などからも、ご注文が頂けるようになりました。
また、学生服を通してお子様の楽しい学生生活をサポートしていくことを地域にお役に立てる店を作っていきます。
最後まで読んでくださってありがとうございました。
いつの日かお会い出来ることを楽しみにしています。